今日は10月10日金曜日。
ぼくの子供の頃は、この日は何曜日であろうと「体育の日」で休みでした。
でも今は「スポーツの日」という名前に変わっていて、月曜日に移動して3連休になっている。
体育の日からスポーツの日への変更に何の意味があるのか分かりませんが、駅名変更だけで1億円かかるように、こういう名称変更にも結構なお金がかかっているんじゃないかと思います。
それはさておき、今日はこの「体育の日」にまつわる思い出から、ほんとうに大切な資産とは何なのか、ということを考えてみたいと思います。
(この記事はポッドキャスト番組「あすコロラジオ」を一部AIを使って記事化したものです。番組の空気・臨場感は是非音声でお聞きください)
🌟 消えゆく地区運動会と、あの頃の横のつながり
体育の日といえば、ぼくの子供の頃の思い出として地区の運動会というのがありました。
今でも小学校の校区の中で地区というのに分かれていると思いますが、昔は子供がいっぱいいましたから、どこもかしこも子供だらけでした。
全体的に子供の数が減っている今、あの頃のキャーキャーピーピーという声も少なくなっていると思います。
その子供会みたいなものが地区ごとにありまして、地区の子供をみんな集めて、いろいろなことをやっていました。
今はそういうのがどんどん削減されていって、PTAみたいな感じで、子供会もなくなりつつあるようですね。
その子供会を通じて、地区の運動会に出るんです。
小学校の運動会とは別に、地区の運動会みたいなものがあって、地区対抗でいろんな競技をやりました。
大人から子供まで入り混じって、地区で競争するんです。
これがすごく面白かったんですよね。
老若男女、同じ地区に住んでいる人が集まって、普段は顔も合わせない人たちとも一緒に力を合わせて何かをやっていく。
地域の中での横のつながりを作るイベントがあったんです。
今は多分もうあまりないんじゃないかなと思いますが、すごく楽しかった思い出があります。
💡 物質的な備えを超えた、ほんとうの資産
なぜこんな話をしているのか、ぼく自身もよく分からないのですが、これからだんだんと物価も上がったりして、いろいろ厳しい状況になっていくと思うんです。
その時にサバイブするためには何が必要なのか。
これはぼくができているわけじゃないですよ。
できてるわけじゃないけど、こういう話をしながら考えたことなんです。
よく「備蓄をしておきなさい」と言われますよね。
水は1日1人2リットル、家族5人いたら10リットル、それを1週間分持っておけとか。
お米やレトルト食品の備蓄とか、トイレットペーパーなど、まず必要なものを1ヶ月くらい生きられるように備蓄しておけとか。
現金を貯めておけとか。
そういう物質的な備えというのを結構よく言われたりします。
まあそれももちろん必要な部分はあると思います。
でも、最大の資産になるものって何かというと、人間関係じゃないかと最近思うんですよね。
困った時に手を差し伸べてもらえる人であるかどうか。
そういう人間性です。
🔍 肩書きが剥がれた時に残るもの
例えば災害が起こりましたとか、不測の事態が発生して、いわゆる私たちが今「価値がある」と信じているもの、お金とかの価値が、そういう時に一気に無価値になりますよね。
その時に残るものは何なのかというと、もうその人の人間性しか残らない。
例えば、パンが1個ありました。
ぼくがそれをもらったとします。
両隣にぼくの知り合いがいて、一人は金持ちだけどめちゃくちゃ嫌な奴で、もう一人は全然お金を持っていないけどめちゃくちゃいい奴。
どっちにパンをあげたいと思うかというと、いい奴にあげたいと思いますよね。
でも普段の物欲の世界では、見返りを求めて嫌な奴にでもついていくということはあると思います。
そういう不測の事態が発生すると、そういうのは全部なくなって、ほんまの人間性、明日の人間性が出てくるんです。
そういう人間性を培っていく必要がある。
特に横のつながりを作る時は、お互い肩書きとは関係ないからですよね。
🌱 見返りを求めない奉仕が磨く人間力
これはぼく自身の経験なんですが、ご存知の方もいるかもしれませんが、ぼくは一度大企業の出世街道を転落しました。
ほんまに肩書きのない自分の醜悪さを見せつけられて、「ああ、これは人としてやり直さなあかんな」という思いを痛感したんです。
そういう人間性を磨くのに、地域のつながりとか、少年野球みたいなものもそうかもしれませんが、そういうところで見返りを求めずに何か奉仕をするという経験って、意外にありなんじゃないかと思うんですね。
「見返りがないから、こんなことやっても意味ないわ」と思うようなことほど、実は心を込めてやると、ピンチの時に助けてもらえたりするんです。
そういう人間性をほんまに磨いていくことが大事なんじゃないかな、と。
地区の運動会みたいな、損得勘定抜きで地域の人たちと力を合わせるイベント。
あれは実は、ほんまの資産を育てる場だったのかもしれません。
お金や肩書きじゃない、人としての信頼関係という、何があっても失われない資産を。
📝 まとめ
体育の日から考えた「ほんまの資産」についてお話ししました。
物質的な備えも大切ですが、困った時に手を差し伸べてもらえる人間性、肩書きが剥がれた時に残る人としての信頼関係こそが、最大の資産なのかもしれません。
見返りを求めない奉仕の経験を通じて、そういう人間力を磨いていきたいですね。
今回のポイント:
- 昔の体育の日(10月10日)と地区運動会の思い出
- 消えゆく地域の横のつながりと、子供会の役割
- 物質的な備蓄を超えた「ほんまの資産」とは人間関係
- 不測の事態では肩書きもお金も無価値になり、人間性だけが残る
- 困った時に手を差し伸べてもらえる人であるかどうかが重要
- 見返りを求めない奉仕の経験が人間力を磨く
- 地域のつながりは損得勘定抜きの信頼関係を育てる場
- 肩書きが剥がれた時の自分の醜悪さから学んだ教訓
- ピンチの時に助け合える関係性こそが真の備え
人生挫折ヒストリー
〜金融マンがなぜスピリチュアルに?〜
(ぼくの恥ずかしい黒歴史)

(あすとろサイコロ運営者・きーぼー)
金融マンとして日々仕事に追われ、
気づけば家庭崩壊寸前に。
心身ともに限界を迎え、
アラフォーでまさかの「追い込まれ退職」。
主夫状態で家族と向き合うも
そこで見せつけられた
「人間性ゼロ」の醜悪な本性
多くのミドルエイジ世代同様に
ぼくも痛烈に実感させられた
「心の空虚さ」と「行き詰まり感」
調子こいて出世街道を歩んでいた
「口だけ男」がどのように転落し、
そこからどうやって這い上がってきたのか。
なぜ、元金融マンだったぼくが
全然関係ないプログラミングとか
怪しいスピリチュアルとかやってるのか。
ぼくの恥ずかしい黒歴史を
ここに公開します。



