最近、自分の話し方について反省することがありました。
最初はゆっくり落ち着いて話そうと思っていたのに、回を重ねるごとに早口になってしまっていることに気づいたのです。
その気づきのきっかけとなったのが、あるYouTuberの方でした。
🎤 AI音声から生声への転換で見えた温もりの価値
ぼくは潜在意識や占星術といった、いわゆる怪しい系のYouTubeが大好きで、実際にそういうチャンネルもたくさん見ているのですが、最近「タフティ現実創造研究所」というチャンネルを見つけました。
「タフティ・ザ・プリーステス」の教えをもとに、独自の解釈で人生を選びなおすヒントを届けている、文字通りタフティという哲学とも量子力学ともつかないテーマを扱うチャンネルです。
怪しいスピ系界隈のYouTuberには、AI音声で運営されている方が結構多いのですが、このタフティ現実創造研究所さんも、最初はAI音声で始められたようです。
それが途中から生声、本当のご自身の話し声に変わったところ、これがめちゃくちゃ良かった。
このタフティ現実創造研究所の方は、おそらく年齢的にはそれほど若くない印象なのですが、とても落ち着いた良い声で、しかもゆっくり話されていて、BGMも良い感じで流れています。
それを聞いて、「ああ、いいなあ」と思いました。
実際、コメント欄を見ても「生声の方がずっといいです」というコメントがたくさん並んでいたのです。
💡 自分の声を振り返って気づいた大切なこと
それを見て、ちょっと衝撃を受けたというか、改めて自分の声を振り返ってみました。
すると、あすコロラジオを始めた最初の頃と今とで、なんだか声がうわずって早くなってしまっていることに気づいたのです。
マイクのスイッチを入れると「ちゃんとした話をしなければ」というプレッシャーがかかり、それがだんだん早口という形で表れていたのだと思います。
月やぎ座のワーカホリックな部分が出てきてしまったのかもしれません。
これはまずいな、もう一度ゆっくり話すスタンスに立ち返らなければ。そう感じて、今回改めて原点に戻ろうと思ったのです。
AIがとても便利になっているのは事実です。ぼく自身もChatGPTやGrok、Claudeなどを日常的に使っているので、AIの恩恵を大いに受けている側の人間だと思います。
でも、やはりAIには絶対に出せない、人間にしか出せないものがあります。それは、温度感です。
🔍 デジタル極まる時代だからこそ求められる人間味
人間としての温かさ、人間味。そういうものは、AIにはどうしても出せません。
どれだけAIを駆使してそれらしく仕上げたとしても、AIはどこまでいってもデジタルです。そしてデジタルは、どこまでいっても無機質なのです。
だから、人間の生声、人間の行為、人が発する温かさ。
もちろん人の行為には冷たさが伴うこともありますが、人にしか出せない温もりというのは、やはり人間にしか生み出せない。
もちろん、AIであれば、ナレーションも間違いがなく、楽で効率的です。
生声だと、一回一回録り直さなければならないし、噛むし、詰まる。ぼくなんて特にそうです。
でも、やはりアナログの生声にしか出せない雰囲気、ぬくもり、温かさというものがあるのです。
このことを改めて再発見しながら、ぼくも自分の声にコンプレックスを抱えつつ、ラジオを続けています。
AIでやるのもありかなと、一瞬考えたこともありました。ぼくは正直あまり良い声をしているわけではありませんし、ちょっと気を抜くと声が高くなったり噛んだりします。
でも、本当に落ち着いてゆっくり話せれば、そのぬくもりのようなものを出せるのではないか。そう思うのです。
🕊 不完全さこそが温もりの源泉
考えてみれば、噛んだり詰まったりする自分の声を「直すべき欠点」として否定するのではなく、それも含めて自分だと受け入れることが、実は温もりの正体なのかもしれません。
自分の中にある「うまくできない部分」を無理やり克服しようと戦えば戦うほど、かえってそこにこわばりが生まれます。
逆に、それを否定も抵抗もせずただ受け止めてしまえば、不思議とこわばりが消えていく。
声にコンプレックスを持ちながらラジオを続けるということは、ぼくにとってはその「受容」の実践でもあるかもしれないのです。
寺社仏閣を巡っていてもよく感じることですが、栄華を極めた場所よりも、栄枯盛衰を経て静かに佇む場所の方に、なぜかやさしい空気が流れています。
うまくいっているだけでは、やさしさというのは芽生えないのです。落っこちる経験があるからこそ、人の痛みがわかる。
声も同じなのかもしれません。
淀みなく完璧に整えられたAI音声には、その「落っこちた経験」がありません。
だからこそ、噛んだり詰まったりしながらも生身で話し続ける声の方に、人は無意識にやさしさを感じ取るのかもしれません。
🌱 これからの時代に求められるアナログ力
ここまでデジタルが極まってきたからこそ、アナログ的なものがより一層求められる。
特に今は人手不足ですから、お金や時給を上げてもなかなか人が集まりません。そして、接客する人の質が、正直なところ落ちてきているようにも感じます。
そんな中、コンビニなどでは、かつては若者しかいなかったところに、シニアの方の採用が進んでいます。
なぜかというと、シニアの方が持っている接客態度、温かく心地よい、ほんわりとしたものを提供してくれることが、やはり求められているからだと思うのです。
だから、どれだけ効率を求めるデジタルの極みに行き着いたとしても、人間はそういう「安らぎのようなもの」を求めていくのだろうと思います。
人間にしかできない温かさ、人間味を大切にしながら、AIと共存していく時代ではないかと思います。
効率や便利さを過度に追求するからこそ、心の安らぎや人と人とのつながりを求める気持ちが、むしろこれから強くなっていく。
技術が進歩すればするほど、私たちは本当に大切なものが何かを思い出すのかもしれません。
それは決して古いものに戻ることではなく、人間らしさを大切にしながら新しい時代を歩んでいくということなのだと思います。
まとめ
- AI音声を生声に変えたことで支持を集めているYouTuberに出会い、人間の声が持つ温もりの価値に改めて気づいた
- 自分自身の話し方を振り返ると、回を重ねるごとに早口になっていたことに気づき、原点に立ち返る必要を感じた
- AIは便利で効率的だが、人間にしか出せない「温度感」は決して代替できない
- 声の温かさは頭で計算して作るものではなく、自分を超えたどこかから湧いてくる感情がにじみ出たものであり、それゆえAIには宿らない
- 噛んだり詰まったりする自分の声を否定せず「受容」することこそが、こわばりを解き、温もりを生む
- 栄枯盛衰を経た場所にやさしい空気が流れるように、完璧に整えられたAI音声にはない「落っこちた経験」が、生声の温もりの正体なのかもしれない
- デジタルがどれだけ極まっても無機質さからは逃れられず、人間の生声・人間の行為にしか宿らない温かさがある
- 人手不足の接客業でシニア世代の採用が進む背景にも、人間らしい温もりへの需要がある
- 技術が進歩するほど、人は心の安らぎや人とのつながりを、むしろ強く求めるようになる
- アナログ力を大切にすることは古いものへの回帰ではなく、人間らしさを携えて新しい時代を歩んでいくことである