今日は2025年12月24日、クリスマスイブですね。
年の瀬も押し迫って、今年も残すところあと1週間となりました。
明日はクリスマス。
イエス・キリストの誕生日と言われている日ですが、このイエス・キリストという方について、今日はちょっと不思議な角度から考えてみたいと思います。
(この記事はポッドキャスト番組「あすコロラジオ」を一部AIを使って記事化したものです。番組の空気・臨場感は是非音声でお聞きください)
🌟 白人で長髪のイエス像は本当か?
イエス・キリストと聞いて、皆さんはどんな姿を思い浮かべるでしょうか。
よく絵画に描かれているイメージがありますよね。
いろんな絵がありますけれども、共通しているのは、白人で、背が高くて、それほどガッチリしている感じでもなく中肉中背というか、背は高そうです。
そして長髪でヒゲを生やしている。
あのお姿を想像される方がほとんどかなと思います。

けれども、その姿が本当のイエス・キリストだったのかということを、一体誰が証明できるのでしょうか。
いろんな諸説があるんですね。
そもそもイエス・キリストという人が存在したのかどうかということもそうですし、
- 本当に肌が白かったのかどうか、
- 本当にイスラエルにいたのか
など、いろんな疑惑というか疑問が出てくるわけです。
聖書には2つありますよね。旧約聖書と新約聖書。
旧約聖書の方は、ユダヤ教と同じ教典と言われているんですが、もう一つの新約聖書の方。
あれがイエス・キリストの生い立ちなどを記録して、かつイエス・キリストはここでこんなことを言いましたみたいな話を、4人の使徒の視点から語られている。
けれども、この新約聖書ができたのは、イエス・キリストが亡くなって何百年か経った後らしいんですね。
だから、この新約聖書を書いた人というのは、イエス・キリストを見たこともなければ会ったこともない。
そういう人が、イエス・キリストがこういう人で、ここでこう言ったということを書いている。
果たしてそれって本当なのかということもあったりするわけですね。
💡 歴史上の人物の「本当の姿」は誰も知らない
だから、ぼくたちが教えられている歴史とかそういうものが、果たして本当のことなのかということを、ちょっともう一度考えてみる必要があったりするのかなと思うんですね。
例えば織田信長と言われて、どんな姿を想像するのかというと、肖像画に出てくるあの絵ですよね。
でも昔はカメラもなければテレビもないので、絵でしか残っていないわけです。
そうすると、その絵に描かれた人の姿が、本当に織田信長なのかというのは、会ったことがないからわからないわけですよね。
あと、昔の中国の明の初代皇帝だった洪武帝。
この洪武帝という人は、言葉を選ばずに言うと、もうすごいブサイクだったらしいんですよ。
もうすごい荒くれ者のブサイクだったんだけれども、肖像画は、めちゃくちゃ男前に描かせたと。
昔は写真もなければテレビもありませんから、実際その人がどんな人なのかって分からないですよね。
その肖像画に描かれた男前の姿を見ると、「これが洪武帝だ」みたいな話で信じてしまうんですけれども。
でもやっぱり出てくるんでしょうね。
本当の洪武帝はこうだったみたいな顔を描いている肖像画が残っている。
だから、ぼくたちが教えられてきたことが、本当にそうなのかというのは、今一度いろいろ考えてみる必要があるのかなと思うんですね。
🔍 現代でも「本当」は簡単に加工される
今、テレビとか、昔は写真もカメラもなかったからという話をさせていただきました。
でも、今はカメラとかテレビとかビデオがあっても、写真って加工できたりするでしょう。
あとビデオなんかも、今すごいですよね。
AIで加工したり、ディープフェイクもある。
ディープフェイクの収録現場を撮影しているYouTubeとか見たことありますけれども、例えばオバマさんがペラペラ喋っているかのように、全然違う人が口だけ動かして見せることができるみたいな感じの嘘の映像が、あたかも本当であるかのように作れる時代になっている。
例えばニュースで、どこかの地域で紛争があって、えらい戦闘状態になっているみたいなことが映像に流れたりしますけれども、あれも本当なの?みたいな。
そういう映像も、簡単に今は作れる。
だから、一体何が本当なのかということが、わかりにくくなっている。
歴史なんかは、ぼくが言うまでもなく、当然書く側の視点というのがありますから、支配している人、権力を持っている人からしてみれば、自分に都合の悪いことを書くわけがないということですよね。
だから、名君と言われている人が、本当の姿はどうだったのか。
例えば大化の改新でも、中大兄皇子と藤原鎌足が、蘇我氏の横暴を食い止めて、いい世の中にするために起こしたクーデターだったんだみたいな話が教科書では言われてますけれども、果たして本当にそうだったのか、みたいな話もあったりとかする。
教科書とか学習指導要領とか、テレビとか新聞とか、いわゆる上からの通達というか権威というか、そういうものから伝えられているものが、本当はそうではないかもしれないということですよね。
🌱 自分の中の審美眼を磨くことの大切さ
じゃあ、そういう時にどうしたらいいのかというと、やっぱり自分の中での審美眼を磨いていくしかないよねということに行き着く。
だから、みんながこう言っているからこうであるとか、赤信号みんなで渡れば怖くないとか言ったりしますけれども、そうではなくて、自分の中で何が正しいのか。
正しさの視点は人それぞれありますので、一概には言えないんですけれども、自分の中での感覚、直感というか、そういうものを今一度培っていかないと、本当のことが見抜けない時代になってきている。
本当は、昔からそうだったんですけどね。
昔からそうだったんだけれども、あまりにも今、権力のほころびが強くなってきているので、そういうものが強く求められる時代になってきたということなのかなと思うんですね。
逆に言うと、個人の力が発揮できるということなので、前向きに捉えてもいいのかもしれない。
そういう意味で、なんというんですかね、時代の変わり目のちょっと混沌とした時期に入っているような気がしています。
📝 まとめ
クリスマスイブにイエス・キリストの本当の姿について考えてみましたが、結局のところ、歴史や権威が伝えてきたことが必ずしも真実ではないということ、そして現代でも技術によって「本当」が簡単に加工される時代になっているということをお話ししました。
だからこそ、自分の中の感覚や直感を磨いていくことが大切なのではないか。
みんなが言っているからではなく、自分の中での審美眼を持つこと。それが混沌とした時代を生き抜く力になるのではないかと思います。
今回のポイント:
- イエス・キリストの一般的なイメージは白人で長髪だが、その真偽は誰も証明できない
- 新約聖書はイエスの死後何百年も経ってから書かれたもの
- 歴史上の人物の「本当の姿」は肖像画や記録に頼るしかなく、真実は不明
- 現代でもディープフェイクなど技術で「本当」は簡単に加工される
- 歴史は権力者の都合の良いように書かれることが多い
- 教科書や権威が伝える情報が必ずしも真実ではないことが明らかになってきている
- 自分の中での審美眼や直感を磨くことが大切な時代
- 混沌とした時代だからこそ個人の力が発揮できるチャンス
- 時代の変わり目にいるという認識を持つこと




