2025年11月5日、水曜日の夜。午後10時頃に満月を迎えます。
今はさそり座の季節ですから、反対星座にあたる牡牛座で満月を迎えるということになります。
しかもこの満月は、地球と月が一番近づく近地点で起こる、いわゆるスーパームーン。
月の軌道はまん丸ではなく少し楕円になっているため、地球に近いところと遠いところがあり、今回はその一番近いタイミングにあたるというわけです。
そんな特別な満月の夜に、「月」という存在について、少し考えてみたいと思います。
月という存在は「良いもの」なのか「悪いもの」なのか
占星術の世界では、新月に願い事をして、満月でそれが実るから感謝をする、ということがよく言われます。
いつからそう言われるようになったのかは定かではありませんが、多くの人がそう信じているのは確かです。
でも、この月という存在が、果たして人にとって良いものなのか、悪いものなのか。
実はここには、ちょっとした論争があるようなのです。論争というより、いろいろな見方があるということですね。
これまで月というのは、無意識の象徴だと言われてきました。
太陽が外面であるならば、月は内面。
太陽はお父さんで、月はお母さん、母性を示すもの。
そうしたものをひっくるめて、自分が安心できる領域、心の部分を表すというふうに、どちらかというと好意的な存在として捉えられることが多かったのです。
占星術界に衝撃を与えた「月の欠損理論」
ところが、これに一石を投じた方がいます。占星術師なら知らない人はいないというマドモアゼル・愛さんです。
この方は実は男性で、おじいちゃんなのですが、あえて女性の名前を名乗っておられる。
マドモアゼルさんは占星術師でありながら、YouTubeで星の話だけでなく政治経済にも切り込んでいかれる方で、以前からその斬新な視点に注目していました。
何の装飾もなく、カメラの前で淡々と語り続けるだけのスタイルにもかかわらず、多くの支持を集めているのは、それだけ話の中身が濃いということなのだと思います。
そのマドモアゼルさんが、月についてのこれまでの見方に対して、はっきりとしたアンチテーゼを投げかけました。
月というものは決して良いものではなく、むしろ「悪者」だというのです。
では、どういう意味で悪いのか。
マドモアゼルさんによれば、月が示すものというのは、自分に欠けている「欠損」であるといいます。
この「月の欠損理論」は、ちょうどコロナの頃に提唱されたもので、占星術界でも大きな話題になり、賛否両論が渦巻くことになりました。
批判も多かったようですが、この理論を支持する人も少なくありません。
ぼく自身も、この「月の欠損理論」に非常に大きな影響を受けた一人です。
月星座とは何か
この月の欠損理論を理解するために、まず月星座について知る必要があります。
自分が生まれた瞬間の天体図において、
- 太陽がどの星座にいるかを示すのが太陽星座、
- 月がどの星座にいるかを示すのが月星座
です。
「ぼくは牡牛座です」というときは太陽星座の話で、これは太陽が黄道上のどこにいるかを示すものですが、月の場合は同じように、月がどこにいるかということで示されます。
ぼく自身の体験:月星座・山羊座の苦しみ
ぼくの月星座は山羊座です。
山羊座は「地上の最強の王様」とも言われ、コツコツと努力を重ねて社会的地位を築いていくような星座です。
ぼく自身、ずっとそういう生き方をするものだと思って育ってきました。
親からは、いい学校に入っていい会社に入って出世することを求められ、自分自身もそれを目標だと思い込んでいた。
ですが、「月の欠損理論」によれば、月というのは7歳までの自分でしかなく、それをいくら追い求めても本当の意味で獲得することはできないといいます。
それはつまり、月星座が山羊座であるぼくにとって、「どんなに頑張って社会的地位を手に入れたとしても、本当の意味では幸せになれない」ということを意味していました。
そして、実際その通りだったのです。
ぼくにはワーカホリックの気質があり、それは無意識のものですから、放っておくとどんどんそちらに流されていきます。
会社でバリバリ働いて出世をしても、まったく満たされない。
まだ足りない、まだ足りない、まだ自分の努力が足りないのかという感覚に囚われ、本当に苦しくなってしまったことがありました。
出世コースからの転落が教えてくれたこと
ぼくは、家庭の問題もあって、一生懸命登ってきた出世のハシゴを、一気に外されて転落する経験をしました。
だからこそ、月の欠損理論は当たっているのではないかと思うのです。
月というものは決して良いものではなく、悪者であるとマドモアゼルさんはおっしゃっていて、それには「なるほどな」と思わされたんですね。
実は西洋にも根強い「月と狂気」の言い伝え
月を悪者として捉えるというマドモアゼルさんの発想は、一見すると突拍子もない話に聞こえるかもしれません。
ですが、西洋の歴史をひもとくと、月と人間の心を結びつける言い伝えは、実は古くから根強く存在しているのです。
「lunatic(狂気)」の語源と狼男の伝承
実は、英語の「lunatic(狂気じみた、常軌を逸した)」「lunacy(精神異常)」は、いずれもラテン語で月を意味する「luna」が語源となっています。
満月の夜に人が変貌する狼男の伝承もその象徴で、ヨーロッパには昔から、満月の夜には犯罪や事故が増え、精神状態が不安定になりやすいという言い伝えが根強く残っています。
その背景には、月の引力が潮の満ち引きを生むように、6割前後が水分でできた人間の体にも同じような影響を及ぼすのではないか、という発想があったようなのです。
タロットの「月」に見る不安と幻惑
同じことは、タロットカードの世界にも見て取れます。
大アルカナの「月」のカードは、不安・幻惑・欺瞞・正体の見えない恐れを象徴するカードとして知られていて、あまりポジティブな意味では扱われません。
二匹の犬(あるいは犬とオオカミ)が月に向かって遠吠えをし、足元の水辺からザリガニが這い出てくる。
あの不穏な絵柄を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
理性でははっきり捉えきれない、無意識の奥に潜む不安や、先の見えない不確かな状況を表すカードとして扱われることが多いのです。
科学的にはどうなのか
もっとも、精神科の入退院や犯罪発生率と月齢の関連を調べた研究では、はっきりとした裏付けは得られていないというのが実情です。
ですが、それでも、「月は人の心を揺さぶる」と語り継がれてきたこと自体は、非常に興味深いことだと思います。
マドモアゼルさんの月の欠損理論も、人類が長い時間をかけて感じ取ってきた月への警戒感の延長線上にあるものなのかもしれません。
そして面白いことに、この「月=狂気」という言い伝えは、これから紹介するシュタイナーの「月=堕天使ルシファー」説とも、どこか通じ合っているのです。
シュタイナーの「月=堕天使ルシファー」説
月の欠損理論だけでは語れない、もうひとつの視点
ここまで、月というのは自分が心地よく安心できる場所だという従来の肯定的な捉え方に一石を投じた、マドモアゼルさんの「月の欠損理論」についてお話ししてきました。
ぼく自身もその影響を強く受けていて、この理論は的を射ていると感じています。
また、西洋には「lunatic」の語源が示す通り、月が人を狂わせるという言い伝えが古くからあるという話をしましたが、実は月を悪いものと結びつける発想には、もう一つ別の系譜があります。
その系譜とは、今から100年ほど前のドイツの教育学者、ルドルフ・シュタイナーです。
シュタイナーが語った「月=ルシファー」という衝撃の霊視
シュタイナーというと、子供の個性を活かして伸ばす教育方法を確立した「シュタイナー教育」の名前で知っている方も多いかもしれません。
ただ、このシュタイナーという人物は教育学者であると同時に、実は霊媒師でもありました。
目に見えない世界とコンタクトを取れるということで、オカルトや神秘学に関する著作も数多く残しています。
その著作の一つ『神秘学概論』の中で、シュタイナーは月について興味深いことを語っているのです。
シュタイナーは宇宙の成り立ちについて霊視し、根源的な地球からさまざまな惑星が意識として分離していったと語ります。
月もまた、地球から分離していった意識体の一つだといいます。
そして、その正体は何かというと、宇宙の進化についていけなかった存在たちの意識体が地球から分離して、月になったというのです。
シュタイナーは、この意識体のことを「ルシフェル」、つまりルシファーと呼んでいます。
ルシファーといえば悪魔、堕天使です。堕落してしまった天使のことですね。
陰謀論界隈ではおなじみの、悪魔信仰の対象としてもよく語られる存在です。
その悪魔の象徴であるルシファーこそが、月であるとシュタイナーは語っているのです。
なるほど、こういうふうに見てみると、西洋で月が「狂気(ルナティック)」の語源になったこととも、どこかで通じ合っているように感じます。
「誘惑」という選択肢を与える存在の意味
では、シュタイナーはルシファーという悪の存在を、単なる悪者としてみなしていたのでしょうか。
実は、そうではなかったんです。
堕天使ルシファーが人間に対して何をしてくるかというと「誘惑」です。
あすとろサイコロでは、太陽星座は自分の生きる目的・使命を象徴すると考えていますが、その目的・使命に向かって正しい道を歩もうとする人に対して、ルシファーは誘惑を仕掛けてきます。
快楽や享楽に代表されるように、人間を堕落させる「誘惑」です。
ここで人は選択を迫られるわけですね。
自分が本当はこうしたいという目的に向かって進んでいくのか、それとも快楽の方へ流されていくのか。
そして、その「誘惑」の中で意識的に自分の目的の方を選ぶということこそが、魂の成長なのだとシュタイナーは語ります。
選択肢を人間に与える存在として、悪の存在は非常に重要な意味を持つ。
この視点には、ぼくも大いに納得させられました。
さらに、選択肢があるということは、人間には「自由」があるということ。
つまり、「悪」とは人間に「自由」をもたらす非常に重要な存在と言えるのではないでしょうか。
無意識と意識的選択——月が教えてくれる魂の成長
マドモアゼルさんの文脈も、これと同じように捉えることができるのではないかと思います。
月というのは無意識の象徴ですから、無意識のままでいるということは、自分では何も考えずにそちらへ流されるということです。
もし「悪」というものが存在せず、「善」しかなかったとしたら、無意識にただ「善」の方へ流れていくだけになってしまい、それでは人間の魂の成長にはならない。
そうではなく、違う道もある中から、意識的に「善」を選ぶ。
「悪」の道もある中で、自由意志のある存在としてあえて「善」を選び取るということこそが、魂の成長なのです。
この観点で捉えると、月も、そして「悪」というもの自体も、決して単なる悪者ではないと言えます。
これらを上手に統合し、意識的に「善」であるものを選び取っていくことこそが、人間の魂の成長であり、私たちの生きる目的・使命なのだと思います。
あすとろサイコロでは、人生とはロールプレイングゲームのようなものだと考えています。
何の苦労もなしに目標を達成できたとしても、それは面白くないですよね。
いきなりレベル99から始まって、何もせずにラスボスが倒せるロープレなんて、誰がプレイするんですかということですよね。
「悪」の存在があり、誘惑に負けそうになる自分を意識的に律しながら、勝ち取っていくからこそ、人生は素晴らしいものになり、魂は成長していく。
そういうゲームを我々は今生の世界でプレイしにきているのではないか。
そう考えると、神様というのは、うまいこと世の中を作っているものだと感じます。
善悪を超えた「あすコロ式・月との向き合い方」
月の欠損理論から始まった問い直し
もともと月というのは「いいもの」として捉えられていました。
心の安全弁というか、安心できる領域として考えられていたのです。
ところが、マドモアゼルさんが一石を投じ、「月の欠損理論」というものを提唱しました。
月というものはいくら追い求めても獲得できるものではない、という理論です。
つまり、月は本当は悪者なのではないかという議論が巻き起こった。ぼくはこの考え方に、大いに納得させられた一人です。
ですが、この話はマドモアゼルさんが発端というわけではなく、西洋に根強く残る「ルナティック」の言い伝えしかり、タロットカードの「月」の解釈しかり、100年前にルドルフ・シュタイナーが『神秘学概論』という著作の中でもすでに語っていたことでもあります。
シュタイナーによれば、もともと月というのは、地球から分離した、進化に乗り遅れた意識体の集合体です。
それが堕天使ルシファーの象徴、つまり悪魔信仰の象徴になっているといいます。
そして悪魔の役割とは「誘惑をすること」。人間が善の道に進むのを阻むために、自分たちと同じように進化を遅らせようとする誘惑を仕掛けてくる存在だというのです。
なんとも恐ろしい話のようですが、ここからが重要なところです。
「善」を意識的に選択するための「悪」の存在意義
では、本当に月は悪者なのかと言われると、シュタイナーはそうではないと語ります。
善なるものと悪なるものがある中で、善を意識的に選択する。
そういう選択肢が存在すること、そして意識的に選択するという行為(自由意志)を与える存在として、悪というものは非常に有効なのだというのです。
これは、ぼくも全くその通りだと思います。
そしてこれが、今のあすとろサイコロにおける太陽星座・月星座の理論の土台になっています。
占星術では、星というのは特定の意識の集合体だと捉えられています。
あすとろサイコロ的には、太陽星座は自分の生きる目的・使命を表すもの、つまり「本当の自分」であると考えます。
一方、月星座は「無意識」であり、これはこれまでの占星術と同じ考え方です。
では、その「無意識」とは何なのかというと、それは「自分の親、さらにその先の家系、社会から刷り込まれてきた古い価値観」だと考えるわけです。
これをいくら追い求めても、本当の幸せにはたどり着けない。ここは、マドモアゼルさんの月の欠損理論とほぼ一致する考え方になります。
人生はRPG——無意識から意識的な選択へ
無意識のまま過ごしていくと、古い価値観や社会の常識に引っ張られて、本当の自分の生きる目的・使命を生きることができない。
だからこそ、意識的に自分の生きる目的・使命を果たすために、何をすべきかを考える必要がある。
日々の行動を意識的に選び取っていくこと。それこそが、今世に生まれてきた意味であり、魂の成長です。
そういう意味で、無意識に象徴される月の存在は、人間が生きていく上で欠かせないものだと言えます。
簡単に目的や使命を達成できたところで、面白くないですよね。
オリンピックの金メダルも、苦労や練習を重ねるからこそ尊く、獲得したときに喜びを感じられるのです。
人生とはまさにロールプレイングゲームのようなもので、いきなりラスボスを倒せても面白くないですよね。
低いレベルから始まり、少しずつ力をつけ、数々の苦労を重ねながら、最終的に強大な敵を倒すからこそ面白いのです。
月というのは、「無意識の反応」から「意識的な選択」へと向かわせるための、誘惑的な存在としての意味を持っているのだと思います。
満月の本当の意味——願望成就ではなく「意識的に」生きるための儀式
翻って、今回の満月の話です。
満月というのは、月が完全に見えている状態ですから、人間の無意識に働きかける力がより大きくなるのではないかと捉えることができます。
よく「満月になったら願望が成就する」「新月に植えた種が満月で成就する」と言われますが、あすとろサイコロ的にはそこは少し違うのではないかと考えています。
どちらかというと、前の章でご紹介した西洋のルナティックの伝承のように、満月の夜に人が変わってしまうという作用の方が近いのではないかと思うのです。
だからこそ、より日々の行動を意識的にしていくことが、満月のタイミングで求められるメンタリティなのだと考えています。
なぜ満月に感謝をするのがいいのか(感謝することの意味とは)
では、なぜ満月に感謝をするのがいいのか。
一般的には、願望が成就することへの感謝だと言われますが、あすとろサイコロでは、その捉え方が少し異なります。
感謝をするというのは、自分の意識を無意識から引き離し、意識的な状態へと持っていくための儀式なのだと思います。
何も考えなければ、無意識にニュースや新聞を見て、不満や不安に意識を持っていかれてしまう。
人間の脳というのは、かねてからの防衛反応によって、そういうふうにできている。
だから、無意識に流されずに、今の自分が感謝できること、満たされていることを、「意識的に」探していく。
「今日生きているだけで丸儲け」「息が吸えるだけで感謝」というところまで一気に行くのは難しくても、朝起きて天気が良かった、太陽の光を浴びられた、いい気分になれた、というようなことも、立派な感謝だと思います。
不安を抱えながらもご飯が食べられている。ウクライナやガザのように戦争をしているわけではなく、平和に生きられている。
そうした自分が受けている恩恵を意識的に探していくことによって、特に無意識に働きかける力が強い満月の影響を、上手に受け流すことができる。
本当は、私たちは色々なものに満たされ、守られながら生きている。
人生はロールプレイングゲームのようにいろいろな苦労があるかもしれませんが、それでも自分は守られているのだということに意識を向けられるかどうか。
それが、満月に感謝をすることの本当の意味なのではないかと思っています。
悪があるからこそ人間には「自由」がある?
最後に、番外編として大切な話をお伝えしたいと思います。
「善」だけの世界では、実は人間に本当の「自由」はない。そんな意外な視点から、人間の尊厳について考えてみたいと思います。
フェイスブック広告の詐欺問題から感じた時代の変化
最近、フェイスブックを開くと、著述家の本田健さんが仕手株まがいの投資クラブを宣伝しているような広告が目に飛び込んでくることがありました。
『ユダヤ人大富豪の教え』で知られる本田健さんが、こんな怪しいことをするだろうかと疑問に思ったのですが、調べてみると、ご本人のウェブサイトで「これは偽者による詐欺広告であり、自分は関与していない」ときちんと注意喚起がされていました。
それにもかかわらず、この手の偽広告は非常に多く出回っている。
本人が偽物だとはっきり公表しているのに出稿され続けているのはなぜだろうと思っていたところ、フェイスブックを運営するMeta社自体が、詐欺広告によって多額の利益を得ているというニュース記事を目にしたのです。
おそらくコロナの頃であれば、検閲が厳しくて、こうした話が表に出ることはなかった。
それが今年になって表面化してきたのは、時代の流れを感じさせる出来事だと思っています。
月はルシファー、そして悪の存在が人間にもたらしたもの
ここまで、マドモアゼルさんの月の欠損理論、そしてシュタイナーの月=ルシファー説を手がかりに、あすとろサイコロなりの考え方をご紹介してきました。
シュタイナーが著した『神秘学概論』の中では、月はルシファーであり、悪魔であるルシファーは人を簡単には善の道に進ませないために誘惑を仕掛けてくると語られています。
しかし、その誘惑があるからこそ、人間は意識的に「善」を選ぶことができ、それが魂の成長になる。
そういう意味で、「悪」という存在は必ずしも悪者ではないという話をしてきました。
この流れの中で、もう一つ大切な話があります。
以前、高市早苗さんが総理大臣になり、世の中が大いに盛り上がったことに対して、それは少し危ういのではないかという、ぼくなりのひねくれた考え方をご紹介したことがありました。
強いリーダーを求めてしまうと、最終的にはヒトラーを選んだドイツのように、人から選択肢が奪われていくという話です。
これと同じような視点が、シュタイナーの『神秘学概論』の中にも書かれています。
シュタイナーは「自由」という言葉を用いています。
シュタイナーは、
「太陽から分離することによって独立し、人間が太陽存在から直接得た知識よりも、もっと自由な意識を獲得することができた」
といいます。
さらに、
「この月の存在たち、つまり地球期の月から働きかけて、人間の意識を宇宙の鏡に変え、それによって人間に自由な意志を付与しなかった霊的存在たちと対立するものは、ルシフェル的な霊たちと呼ぶことができる。ルシフェル的な霊たちは、人間の意識の中に自由な活動を呼び起こしたが、それと同時に誤謬と悪の可能性をも人間に与えたのである」
とも言っているのです。
これは非常に大事なポイントです。
月という存在が現れるまで、人間はただ何も考えずに、つまり無意識に「善」の方向へ進むだけの存在だった。
つまり、それは人間自身の意志というものを、高次の存在は認めていなかったという文脈になります。
それを、人間を「悪」の道へ「誘惑」するルシファーという存在が現れたことによって、結果的に人間は自由な意志を手にすることになったというのです。
なぜ、ルシファーが人間に自由をもたらしたと言えるのか。
それは、「誘惑」を通して、人間に善・悪どちらも、自らの意思で選べる選択肢を提供したからです。
強いリーダーを求めることの危険性と自由の喪失
これこそが、人間の尊厳の一番根っこにある部分なのだと、ぼくは思っています。
選択できるというのは、正解も不正解も選べるということです。
不正解という選択肢がある中で、あえて正解を選ぶ。その自由な意志を持てるということこそが、人間の尊厳なのだと思うのです。
人間はそれを追い求めていくものだし、追い求めていかなければならないものだと思います。
もし選択肢がなくなってしまった状態になれば、最初は心地よく感じられたとしても、いずれは真綿で首を締められるように、自由が少しずつ奪われていくことになります。
ダボス会議などで語られる2030年の「グレートリセット」構想、「何も所有しないけれど幸せ」といった世界観にも、そうした危うさを感じます。
ドイツにおいても、当初のヒトラーは人々にとって心地よいことを語っていたと言われます。それが最終的にどうなったかは、歴史が示す通りです。
そうした懸念は、決して過去の話ではありません。
「自由」を享受するために必要なこと
ただし、その自由を得るためには、人間は強い意志を持たなければなりません。
自由を選ぶという意志、そして選択したことに対する責任。そうしたものを背負っていく必要があるというのが、自由の裏返しでもあります。
それでも、自由を求め、自由を獲得し、自由を享受するためのメンタリティを育んでいくこと。それこそが「魂の成長」と呼ばれるものであり、人間が生きていく価値そのものなのではないかと思います。
これが、「善」と「悪」の融合、あるいはワンネスの世界とも言えるのかもしれません。
まとめ
悪の存在は、一見すると人間を苦しめるものに思えますが、実は人間に「自由な意志」をもたらした存在でもあります。
善だけの世界では、人間には選択肢がなく、本当の意味での自由はありません。
正解と不正解の両方がある中で、意識的に善を選ぶこと。その選択の自由こそが人間の尊厳であり、魂の成長につながるのだと思います。
最後までご覧頂きまして、どうもありがとうございました。
- 月は従来「無意識」「安心できる領域」として好意的に捉えられてきたが、マドモアゼル・愛さんの「月の欠損理論」がそれに一石を投じた
- 月星座は無意識の象徴であり、いくら追い求めても本当の意味では満たされない
- ルドルフ・シュタイナーも『神秘学概論』の中で、月は堕天使ルシファーの象徴だと語っている
- ルシファーの誘惑があるからこそ、人間は意識的に善を選び、魂を成長させることができる
- 人生はロールプレイングゲームのようなもので、苦労を重ねて選び取るからこそ意味がある
- 西洋には「lunatic」の語源が示す通り、月が人を狂わせるという言い伝えが古くから存在する
- 満月は願望成就の日というより、意識を無意識から引き離し、感謝を通じて意識的に生きるための儀式である
- 月(ルシファー)の存在が、人間に「自由な意志」をもたらした
- 自由とは「選択できる」ということであり、不正解がある中で正解を選ぶことに意味がある
- 選択肢がなくなった状態は、一見心地よくても自由の喪失につながる
- 強いリーダーへの依存は、最終的に自由を奪われる危険性がある
- 自由を得るには強い意志と責任が必要であり、それを育むことこそが魂の成長である
- 善と悪の両方があることで、人間は本当の意味で自由になれる

