今日は2025年7月4日、トム・クルーズの日ですね。
6月30日の大祓でデトックスができていなかったことが、先日のトイレぶっ壊れ事件で判明したので、髪の毛を切りに行って、頭に詰まっている邪気を振り払ってきました。
その帰りにちょっと走ろうかなと思って走ってみたのですが、日中のアスファルトの上はサウナのような暑さで、ドラキュラが血を吸い取られるように、ぼくのヒットポイントがキューッと吸い取られてしまいました。
(この記事はポッドキャスト番組「あすコロラジオ」を一部AIを使って文章化したものです。番組の空気・臨場感は是非以下の音声でお聞きください↓↓↓)
🌟 走るのが大嫌いだった男が始めたスロージョグという挑戦
チラッと走っていますという話をして、ちょっと自慢臭かったかもしれませんが、ぼくが走るといっても、歩くに毛が生えた程度のスロージョグです。
1キロ7分か8分ぐらいのペースで、喋れるぐらいの速度で走るんです。
去年、高校の友達、といっても全然喋ったことがなかったのですが、トレイルランをやっているということで、ぼくも入れてよと声をかけてみたら、いいよと入れてくれたので、ちょっと走ってみようかなと思ったんです。
今まで走るのがめちゃくちゃ嫌いだったんですけれど、挑戦してみようかなと。
ただ、本当に嫌いだったので、ガチンコでやるわけにはいかず、いい方法がないかということで、スロージョグというやつを見つけたんです。
1キロ8分とか9分ぐらいのペース、速足で歩くぐらいな感じですが、走ると歩くの違いは、小刻みなジャンプを繰り返すということなので、足腰を鍛えるのにいいらしいんです。
去年の9月か10月ぐらいに始めたのですが、最初は歩くぐらいの距離で走ってもしんどい。
今まで歩くのはちょっとやっていたけれど、走るなんて大嫌いだったのでやってこなかった。
でも、ご縁をいただいたので、やってみたのですが、1キロ8分走るのも最初はしんどくて、本当に1キロ9分でもぜいぜい言いながらやっていました。
先日お話しした、サバンナの八木さんの「ゆる筋トレ」の話と同じで、毎日やっちゃうと続かないので、今のところほぼ2日に1回、3日に1回とか、行ける時は毎日とか、週に3、4回ぐらい行ければいいなという感じです。
時間もあまり気合いを入れすぎるとよくないので、1回30分ぐらい。家のこともしなければならないことがあるので、朝にやっていました。
ぼくは牡牛座なので、単純作業をコツコツ続けるのはあまり苦ではないので、ゆるい感じでやっていたんです。
でも、続けていくと、最初1キロ8分とか9分でぜいぜいしていたのが、だんだん鍛えられてきて、1キロ8分台、7分台、6分台ぐらいまでいったんです。
最近は体調のこともあって、ちょっと戻っている感じですが、別に速さを求めているわけではありません。
日常の健康維持のためにやっているだけなので、だいたい1キロ6分半ぐらいでやろうという感じでやっています。
💡 嫌いだったものが「やりたいもの」に変わる不思議
何が言いたいかというと、ぼく、走るのが本当に嫌いだったんですよ。
本当に嫌いだったやつが、ちょっとしたご縁で走るようになると、不思議なことに、走らない期間が長く続くと気持ち悪くなるんです。
隙間時間ができたら、走ったろうかなって思うようになりました。
もちろん、さっき言ったように、めちゃくちゃ遅いんですよ。
今でも遅いんだけれど、走ることを自らしようとするマインドに変わっている自分がいるようです。
これは1年前の自分からは考えられないことでした。
成長って何ですかと言われた時に、拡大、つまり自分のなじんでいた領域を広げていくことだと思うんです。
自分の安心できる領域を超えていく経験をすることが成長だと思うんです。
ぼくの場合、大した話ではないけれど、めちゃくちゃ走るのが嫌いで、やりたくなかったんですけれど、そこのところ、一人だったら無理でしたね。
一緒にやってくれる人がたまたまいてくれたのでできたのですが、嫌いだったものに挑戦してみたら、意外によかった。
子供の頃、まったく食べられなかった納豆が、大人になったら好物になるみたいな感覚。
あれも一つの成長だと思うんです。
自分のコンフォートゾーンを広げていくこと。
なんか、嫌いなものとか、嫌悪感を示しているものに対して価値を見出すとか、そういうのが成長だったりするのかなって思います。
🔍 父親との関係から学んだ「価値の再発見」という成長
話が飛ぶかもしれませんが、ぼく、親がいます。
もちろん親は皆さんもいらっしゃると思うのですが。
ぼくは父親とあまり関係が良くなかったんですね。
子供の頃も大人になってからも。
母親が先に亡くなって、父親がその後、軽く6年ぐらい経っているでしょうか。
配偶者のいない状態で頑張って生きているのですが、ぼくは、幼少期の関係もあって、親父のようには絶対になりたくないと思っていた。
めちゃくちゃ嫌いだったんです。
でも、自分たちをつないでいた母親がいなくなって、父親と直接接するようになった時に、当然、父親もいろんな努力をしたんだと思うんです。
親子関係をなんとかしようと。
忍耐強くやってくれたから、だんだんぼくの方でも、嫌いだったはずの父親のいいところを素直に見られるようになったんです。
それも一つの成長かな。
視野を広げるということ。
今まで嫌いだったものに価値を見出せる。
ぼくにとって、めちゃくちゃ新鮮で、感謝の気持ちに溢れる感覚。
この親を選んで生まれてきたって言われているから、なるほど、こういうことだったのかって。
今まで見えていなかったいいところを取り入れたいなって、最近そんな風に考える機会を得たんですね。
🌱 「嫌い」から「価値」を見つける成長のプロセス
スロージョギングも父親との関係も、共通しているのは「最初は嫌いだったもの」に対する見方が変わったということです。
これって、実はとても大きな成長のサインなのかもしれません。
若い頃は、好きなもの、得意なもの、心地よいものばかりを追い求めがちです。
でも、年を重ねると、嫌いだったもの、苦手だったもの、避けてきたものの中にも、実は大切な価値が隠れていることに気づくようになります。
それは、私たちの視野が広がったということでもあり、物事を多角的に見られるようになったということでもあります。
白か黒かではなく、グレーゾーンの豊かさに気づけるようになったとも言えるでしょう。
一人では踏み出せなかった挑戦も、誰かがいてくれることで可能になります。
父親との関係も、母親という仲介者がいなくなったからこそ、直接向き合う機会が生まれました。
人生って、本当に不思議なタイミングで、必要な出会いや別れを与えてくれるものですね。
ミドルエイジの私たちにとって、この「嫌いなものの中に価値を見出す」という成長は、特に重要かもしれません。
人生の後半戦では、新しいことを始めるよりも、これまで避けてきたことと向き合う機会が多くなります。
そんな時、嫌悪感や拒絶反応を示すのではなく、「もしかしたら、ここに何か大切なものがあるかもしれない」と思えることが、豊かな人生につながるのではないでしょうか。
📝 まとめ
走ることが大嫌いだった男がスロージョギングを始め、父親との関係を見直した体験から、成長について考えました。
成長とは、新しいことを身につけることだけではなく、嫌いだったもの、避けてきたものの中に価値を見出せるようになることでもあるのですね。
今回のポイント
- 嫌いだった走ることがスロージョギングによって習慣に変化
- 一人では無理でも、仲間がいることで挑戦できることがある
- 成長とは自分のコンフォートゾーンを広げること
- 子供の頃の納豆嫌いが大人になって好物になるような変化も成長
- 父親との関係改善から学んだ「嫌いなものに価値を見出す」視点
- 母親の死をきっかけに直接向き合うことで見えたもの
- ミドルエイジには特に重要な「避けてきたものと向き合う」成長
- 白黒思考からグレーゾーンの豊かさを受け入れる視野の拡大
人生挫折ヒストリー
〜金融マンがなぜスピリチュアルに?〜
(ぼくの恥ずかしい黒歴史)

(あすとろサイコロ運営者・きーぼー)
金融マンとして日々仕事に追われ、
気づけば家庭崩壊寸前に。
心身ともに限界を迎え、
アラフォーでまさかの「追い込まれ退職」。
主夫状態で家族と向き合うも
そこで見せつけられた
「人間性ゼロ」の醜悪な本性
多くのミドルエイジ世代同様に
ぼくも痛烈に実感させられた
「心の空虚さ」と「行き詰まり感」
調子こいて出世街道を歩んでいた
「口だけ男」がどのように転落し、
そこからどうやって這い上がってきたのか。
なぜ、元金融マンだったぼくが
全然関係ないプログラミングとか
怪しいスピリチュアルとかやってるのか。
ぼくの恥ずかしい黒歴史を
ここに公開します。



